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2016年3月25日金曜日

地下鉄サリンの日、ひかりの輪は予定通り福井旅行=本紙が追跡取材

永平寺から出てくる上祐氏(左中央)
21年前にオウム真理教による地下鉄サリン事件があった3月20日。現場のひとつとなった東京・霞ケ関駅には献花台が設けられ慰霊式が行われましたが、その頃、オウムの後継団体のひとつ「ひかりの輪」(代表=上祐史浩氏)は、福井県に「聖地巡り」と称する旅行にでかけていました。本紙はこれを追跡取材しましたが、教団側の取材妨害にあったほか、教団から見捨てられた副代表と本紙総裁がしっぽり2人きりで独自に「聖地巡り」を行うという珍事も起こりました。

※教団広報からの「上祐以外のメンバーの顔を掲載しないように」との要望を尊重し、記事中の写真では上祐氏と本紙・藤倉総裁以外の人物の顔を全て上祐氏の顔に差し替えています。


■事前に批判を浴びた団体旅行を敢行

3月20日、霞ケ関駅では地下鉄サリン事件発生時刻とほぼ同じ朝8時に、駅職員を含む13人の死を悼んで職員らが黙祷を捧げました。また、献花台は終電まで設置され、事件の被害者や遺族、安倍晋三首相などが献花に訪れました(本紙記事)。

「温泉代」を記載する教団サイト
一方、オウム真理教の幹部(マイトレーヤ正大師)だった上祐史浩氏が代表を務める「ひかりの輪」は、19日からの3日間、教団をあげて福井県への旅行を計画。本紙や『週刊新潮』がこれを問題視して報道していました。教団の公式サイトに掲載された旅行の案内に温泉についての記述があったことから、「旅行(温泉付き)」「温泉旅行」などとして、よりいっそう反感を買っていました。

そんな批判を物ともせず教団は、上祐氏ら教団スタッフを含む約30人で旅行を敢行。ツアーは、上祐氏が乗るトヨタ「エスティマ」を先頭に、教団のミニバンやレンタカー、参加者所有の乗用車など8台での「大名行列」となりました。

本紙はこの旅行を追跡取材しました。

■本紙の追跡取材を教団広報が妨害、抗議

初日、藤倉総裁は福井県内で尾行中に団体の車を見失いましたが、「2日目に永平寺に現れる」と予測し、張り込みを開始しました。2日目とは、地下鉄サリン事件から21年目にあたる3月20日です。

永平寺に現れた広末氏(顔は上祐氏)
やがて、どでかいリュックを背負いトートバッグを手にしたマスクの男性が永平寺の山門前に現れます。どう見ても観光客に見えない風貌の人物は、ひかりの輪副代表の広末晃敏氏でした。

さらにその2時間後、約30人のスタッフや参加者を引き連れて上祐史浩氏が永平寺に現れ、広末氏と合流します。上祐氏がガイドよろしく先頭に立って参拝客用の門への階段を駆け上り、参加者たちもそれに続きました。

一行は永平寺内を参拝し、さらに1時間ほど座禅を行って出てきました。やがて全員で集合して記念撮影を始めました。この様子を撮影していたところ、広末氏と広報担当の宗形真紀子氏が声をかけてきました。

広末氏「公調(公安調査庁)の方ですよね……あれ? あ~っ! 違いますよ違いますよ。なんか様相が変わってる! 太った~!」

広末氏が藤倉総裁に会うのは4年ぶり。藤倉総裁には、もはやかつての精悍な面影はなく、ただのデブに変わり果てていたのです。

宗形氏「藤倉さんですよね、藤倉さんですよね!」

広末氏「来るなら言ってくださいよ」

──広末さんも来てるなんて思わなかったから。霞ケ関に行ってたんじゃないですか?

広末氏「霞ケ関で献花した後に、こちらに来たんですよ」

まんじゅうを歩き食いする上祐氏。写真左側がボケているのは、カメラの前に立ちはだかって撮影を妨害した宗形氏の戦果
上祐氏がお土産のまんじゅうを歩き食いしながらやってきました。写真を撮ろうとすると、宗形氏が体でカメラを遮って妨害します。

──こんにちは~。藤倉です。

上祐氏は、不機嫌そうな視線を向けただけで挨拶すら返さず無視して通り過ぎて行きました。

この後、宗形氏が「取材は事前に許可を取ってください」「上祐以外の人物の写真は載せないでください」などと主張し、「一般参加者の顔は掲載しないが、顔を公開しているスタッフ等について掲載を控える理由はない」と説明している藤倉総裁に、つきまとってきました。その間に上祐氏は車に乗り込んで姿を消してしまいました。

本紙総裁にガン飛ばして通り過ぎる上祐氏(左)
その日の夜、広末氏から改めて藤倉総裁の携帯に電話に連絡があり、「肖像権」と「参加者の感情」を理由に、これ以上の撮影をしないよう求められました。藤倉総裁は、

「よりによって地下鉄サリン事件の日に旅行をして、そんなニュースの現場でニュースの人物・団体と行動をともにしているんだから、カメラを向けられること自体はしょうがないんじゃないですかね。一般参加者の顔を記事などで掲載することはしませんが、そんな理屈で撮影をやめろという主張に従っていたら、取材そのものが不可能になる。そんな要望には応じません」

と突っぱねました。

■副代表が教団から見捨てられる

参加者を先導する上祐氏(中央)
聖地巡り3日目、上祐氏御一行は小浜市内の寺社巡り。若狭姫神社や若狭彦神社などを参拝しました。

ここでも、広末氏が撮影をやめるよう求めてきました。

──寒いから、助手席に座って話しませんか。

しかし、話し合いは前夜と同じ内容の繰り返し。ただし今回は「法的措置」という言葉も登場します。

広末氏「藤倉さんが外で撮影しているので、参加者が怖がって神社から出てこれなくなっていて、ツアーの妨害になっています。参加者の中には、法的措置も考えると言っている人もいます」

──法的措置って、何するんですか?

広末氏「例えば仮処分の申立とかでしょうか」

──いまから裁判所に仮処分を申し立てても、(ツアー最終日である)今日のこの取材は止められないですよね。裁判所の命令、ツアーが終わるまでに間に合わないでしょ。

広末氏「であれば、後から損害賠償請求ということになるかと思います」

永平寺で参加者(顔は上祐氏)と記念撮影する上祐氏(中央)
──受けて立ちますよ。ぼくは上祐さんを中心に撮影しており、出てくる参加者ひとりひとりを撮影しているわけではない。それは昨日、すでに伝えてあります。参加者は、顔を隠すなり、上祐さんから離れて出てくるなりすれば撮影されない。なのにそうしないで、ぼくのせいにしてツアー妨害だと言うなんて、自作自演もいいところです」

藤倉総裁は知り合いの弁護士に連絡し、公道からの取材である以上、法的に何ら問題がないことを確認して広末氏に伝えました。そんなやり取りをしているうちに、神社から出られないと主張していたはずの参加者たちが、しれっと神社を出て車に乗り込み、次の訪問先へと移動を始めました。

──ぼくも彼らを追って移動します。すぐに(この車から)降りて下さい。このまま同じ話をし続けるのであれば取材妨害です。

広末氏「あそこに私が乗る車があるので、あの車の前まで移動してもらえますか」

それでは車列を見失いかねないため、藤倉総裁は「すぐ降りないならシートベルトを締めて下さい」と言い放ち、広末氏を乗せたまま車を発進させました。しかし、このやりとりでタイミングが遅れ、あえなく本隊の車列を見失ってしまいます。

広末氏(右=顔は上祐氏)を車で連れ回し、ご機嫌の藤倉総裁(左)
広末氏は、自分が乗るはずだった車の搭乗者と連絡を取りましたが、「初めての土地でわからない」「借り物の車だからナビの使い方がわからない」などという理由で、合流できる見通しが立ちません。なのに、そうこうするうち広末氏が乗るはずだった車が本隊と合流したという連絡が入ります。はなから広末氏を回収する気なんかなかったかのようです。

その後、教団関係者は広末氏からの電話やメールにも返答しなくなり、広末氏は教団から完全に見捨てられた形になりました。

広末氏は聖地巡り中、寺社でガイド役を務める予定でした。教団は、藤倉総裁が神社の前にいるだけで「ツアーの妨害」などと言うくせに、教団の副代表であり聖地巡りのガイド役でもある広末氏が部外者に連れ去られても、お構いなしにツアーは続行できるようです。相変わらず欺瞞性に満ちた教団です。

■副代表と2人でしっぽり“聖地巡り”

藤倉総裁と一緒に聖地巡りをする広末氏(顔は上祐氏)
教団が立ち寄る予定としてウェブサイトに掲載していた寺院のひとつに行ってみましたが、見当たりません。

──ジタバタしてもしょうがないから、一緒に“聖地巡り”しましょうよ。

取材に来た藤倉総裁と、取材をしないように伝えに来た教団副代表との奇妙な旅の始まりです。

広末氏「もともとオウム真理教では、寺社仏閣は汚れた場所とされていました。しかし、こうして日本古来の精神に触れていくことが、事件の反省にもつながるということで、アレフの上祐派だった時代から聖地巡りをしているんです」

広末氏「神社の屋根の作りで、祀られているのが男性の神様なのか女性の神様なのかがわかるんですよ。ほら、屋根のあの棒みたいなの、数が偶数でしょ? これは女性の神様ですよ、という意味なんです」

副代表から直々に、神社についての基礎知識、参拝の作法、そしてオウム後継団体が聖地巡りをする意味などについて解説してもらいながら、いくつか寺社を巡りました。

──こうやって、藤倉を聖地に案内して引きつけている間に本隊は安心して聖地を巡れるわけだから、広末さんは今回の最大の功労者ですね。

広末氏「私が藤倉さんを引きつけているんじゃなくて、藤倉さんが2人で聖地巡りしようって言って私を連れ回してるんじゃないですか」

──わはは。これが広末さんじゃなかったら、ぼくはその辺に捨ておいて意地でも本隊を追跡してますよ。

教団のサイトには「三方五湖レインボーライン山頂公園」に立ち寄ることも記されていたため、今度はそこに行ってみることにしました。しかし、ここにも上祐御一行様の車は見当たりません。

──みなさんは、昼ご飯どうしてるんでしょう。

広末氏「オウム時代から食事は質素なので、お弁当屋さんの簡単なお弁当を買って車の中で食べるんです」

カツカレーを食べる広末氏
──そうなんですか。じゃあ我々はここで食べましょう。おっ、うなぎ定食とかありますよ。せっかくだから、みんなより豪勢なもの食べちゃいましょうよ。ぼくが(お金)出しますよ」

広末氏「私はカレーをお願いします」

2人でカツカレーを食べました。

■副代表ほったらかしで教団は解散

午後2時半。そろそろ福井を離れなければ、その日のうちに東京に戻れなくなります。しかし教団とは依然、連絡が取れないようです。藤倉総裁もTwitter上で、ひかりの輪に向けて「広末は預かった」「迎えに来い」などとメッセージを送りましたが、全て無視されていました。

──もっと、「助けて!」とか切羽詰まった感じで連絡しないとダメなんじゃないですかね。後ろ手に縛った写真でも撮りましょうか?

広末「あ、メール来ました。もうみんな解散しちゃったみたいです」

──ええっ! 広末さん置き去り?

広末氏に手渡したお土産の数々(顔は上祐氏)
広末氏は、ツアー車の1台に駅まで迎えに来るよう、やりとりをしています。しかし藤倉総裁がいるせいか、来るのか来ないのかハッキリしない様子。仕方がないので、藤倉総裁は「教団の皆さんと食べて下さい」と土産を渡した上で広末氏を駅前で降ろし、東京への帰途につきました。

最終的に広末氏は無事、教団の車と合流して帰京できたようです。

教団の聖地巡り2日目の夕刻に本隊と合流した広末氏は、永平寺を参拝したのみ。3日目は朝から夕方まで約6時間を藤倉総裁とドライブし、3カ所を巡りました。教団との旅行より藤倉総裁とのドライブのほうが時間も訪問先の数も多いという、予想外の旅となりました。

■温泉は入らずじまい?

今回の教団の聖地巡りでは結局、温泉には全く立ち寄らなかったようです。後日、教団は広末氏を通して、温泉についてこうコメントしました。

「今回の巡礼のHPの案内文をご覧いただければ分かるように、今回の巡礼は温泉入浴を目的としていないばかりか、特定の温泉の入浴は、正式なスケジュールとしては当初から組み込まれていないものでした。現に、特定の温泉の名称は、当初からHPに一切掲載されておりません」

「正式なスケジュール」であろうがなかろうが、温泉を想定していないなら、そもそも温泉について記載しないでしょう。相変わらず、教団のコメントは詭弁と言わざるを得ません。

実際にツアーで立ち寄る場所については「その日のフィーリングで変わる」(広末氏)とのこと。今回、温泉に立ち寄らなかったのが、事前に批判を浴びたからなのか単なる「フィーリング」なのかは不明です。

地下鉄サリン事件から21年目のその日、永平寺参道で楽しげにまんじゅうを歩き食いする上祐氏(中央)と参加者たち(右=顔は上祐氏)
また、3月20日に聖地巡り先で教団が行った慰霊行事については、教団はこう説明しています。

「3月20日、一番始めの巡礼場所である福井県内の寺院の堂内において、午前8時半頃から、上祐が主導して行いました。当日が地下鉄サリン事件から21年目であること、事件の概要、そして団体を代表して広末が霞ヶ関駅に献花を行ったことを上祐が話した後、上祐の合図のもと、犠牲者の皆さまのご冥福と、心身に傷を負われた方々の1日も早いご回復を願って、黙祷とお祈りを参加者全員で捧げさせていただきました。なお、3月16日には東京にて私が司会をして慰霊行事をさせていただき、翌17日に賠償金お支払いを行い、また20日には参加者からいただいた料金の一部を用いて、賠償金を追加させていただきました」

慰霊式について、ひかりの輪の元信者が、本紙の取材に対してこう語ります。

「聖地巡り中ではないときの慰霊式に出席したことがありますが、広末氏が司会で黙祷し、あとはお供物のお菓子をみんなで食べるという程度のものでした。上祐氏は、黙祷が終わった頃に登場して講話をするだけで黙祷に参加しないことさえあった。今回教団は、聖地巡り中と、その前の3月16日にも慰霊式をやったと言っているようです。今回はふだんと違ってずいぶん丁寧にやったなという印象です。批判をかわすために体裁だけでやっているとしか思えません」

取材を終えた藤倉総裁のコメントです。

教団に見捨てられた寂しさが漂う広末氏の背中
「日頃から私は、オウムの後継団体であるひかりの輪は解散すべきだと言ってきた。しかしまさか福井に広末氏を置き去りにしたまま解散するとは思わなかった。私が主張しているのは、こういう解散ではない。教団の非情さにはあきれるばかりだ。もともと地下鉄サリン事件があった日に教団をあげて旅行に出かけること自体が無神経。ひかりの輪が、真摯に事件を反省し被害者に詫びようとしている団体ではないことが、今回改めて実感できた。今後も引き続き、アレフのみならずひかりの輪も解散すべきとの主張を続けていきたい」(藤倉総裁)

◇関連記事

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◇参考サイト

togetter/ひかりの輪が副代表を見捨てる

7 件のコメント:

  1. 藤倉のせいで聖地巡りに参加できなかった広末氏がかわいそう。

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  2. 来られた観光地のほうもずいぶん迷惑していたでしょうね。

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  3. コラで大笑いなんですけど。(大笑)

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  4. 読者の程度が知れるな。

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  5. 上祐の行き先にオウム被害者が現れれば事件になったのに

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  6. 広末は陽動作戦の囮だな
    あいつらテロリストだからこいうの上手いんだよ

    この時期 注目されるんで上祐は東京から逃げたんだろ

    >広末氏「もともとオウム真理教では、寺社仏閣は汚れた場所とされていました。
    >しかし、こうして日本古来の精神に触れていくことが、
    >事件の反省にもつながるということで、
    >アレフの上祐派だった時代から聖地巡りをしているんです」

    オームって変わらねーな
    無駄に口数が多いだけでナニも説明してねー
    信条の整合性も出来てないことポロっと自白してるし
    自白してる自覚もないし

    >寺社仏閣は汚れた場所

    ってお前らが来て聖地汚してるんだろ

    基地外信者がいる限りコイツラの悪行は続くな
    一番悪いのは被害者ズラする基地外信者

    お土産にまで上祐ワッペン貼らなくていいよw
    お土産が汚れるwww

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  7. (信者の布施でしょうけど・・・)
    宗教関係者って
    金もってますね。

    どことは言いませんが、
    一般的に、宗教組織って、
    社会的な問題を起こしても、
    映画を作ったり、
    旅行行ったり、
    偶像立てたり、
    精舎建立したり、
    裁判起こしたり、
    よくまあ、金があるもんですね。

    この連中も、
    仕事もせずに、
    こんな事ばかりやっていて
    よくまあ、、、とあきれますね。

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